依存しないもののかたち



これは先月末締め切りだった“World Space Creators Awards 2009”ってゆうショップの内装コンペに出したものです。
「人とモノとの関わりあいは、本来もっとシンプルで、だからこそおもしろい。既存のディスプレイでは陳列するための棚やショーケース、ハンガー、マネキンなど、人とモノの間にそれらをつなぐ媒体としての他者を必要とする。
しかし、この提案では人とモノとが直接的に関わり合う。もりあがったり、へこんだりした床だけでできた空間は、人とものとの距離を自由に設定することができる。
例えば、散歩をしながら遠くの丘の上にたつ一本の木を見つめたかと思うと、足下の落ち葉に気をとられる。列をなしてせっせと働くありんこの横で寝そべっていると、その上をまあるい雲がとおり過ぎる。そんなごく自然な出会い、自由な距離感が、唐突にふっと何かに出会う、偶然という予感を感じさせてくれる。(本文抜粋)」

ある対象との関係が必ず他の何かに依存して成り立つってゆうのはなかなかストレスになります。
例えば電気に依存しているのもは数えればキリがない。家電は送電が止まった時にはじめてわかるのかもしれないけど(これは既に経験済みだけど)、常に持ち歩くケータイ、デジカメ、i-pod...なんかは暇無し充電の周期がくるし、充電されてない状態でそのままもっていることも多いけどその状態ではただのプラスチックの塊になっちゃう。
このブログに関してはPC、ネットワーク、ネットワーク環境、電気とかって実は依存しまくっちゃってるわけです。

提案の本来の趣旨とは反れちゃいましたが、棚とかショーケース、ハンガー、マネキンとかってゆう他者はそれほど悪くない。これらは物的に存在する物だから老朽しながらもそこにあり続けてくれるし、それ自体に意味とか役割がある点で関係性の終着点を担ってくれている。

なんだけど、社会に対してより直接的な関係性を求めること、きちんとした終着点を持たせることはいろんな意味で大事だと思うんです。

それは会話だったり、体験だったり、まぎれもなく目の前で起きている何かに他ならないのです。